先輩にずっと、憧れてました。









止まらずに落ちていった









だから今日が最後だと思うと、悲しくて
何度も何度も練習したはずの言葉が出てこない。
静まり返った講堂に涙が交じった声だけが響く。

溢れてきた涙はすぐには止まらなかった。
完璧に覚えたはずの言葉は頭の中から消えうせて
目の前の言葉は涙にかすんで読めなくなっていた。

だけど、どうしても伝えたい言葉があった。



「っ………」



時間だけが刻々と過ぎていく。
ずっとこのままでいたらいけない。

最後まで読みたかった。
これが伝えられる最後の言葉だから。


濡れていたハンカチでもう一度目頭を押さえる。
涙を拭った後に二、三度深呼吸をした。
それから背筋を伸ばして真っ直ぐ前を向いた。
うん、大丈夫。今だけは泣かないでいよう。


前の席で私を見ている先輩の顔が見えた。
いつものように少し意地悪そうに笑っていた。

最後まで私は先輩に背中を押されたままですね。
だから最後くらい、私もやれるところを見せよう。



「………失礼しました」









生徒会長に指名されたとき、頭が真っ白になった。
てっきり、副会長の佐藤くんになると思っていたから。

普通の生徒会長の後ならまだよかったのかもしれない。

前の生徒会長は、跡部景吾。
一番大変なテニス部の部長と両立していた人だった。
そして歴代の会長の中でも最も敏腕だったであろう人。
そんな人の後にやるなんて、私の間抜けさを晒すだけ。



「どうして私なんですか、先輩…」



蚊のなくような声で尋ねても、答えは返ってこない。
楽しそうな顔をしている先輩に何か言ってやりたかった。
でも諦めて溜息をつくしかできない。これは決定事項だから。
私には拒否権なんてものは与えられてはいないのだ。



「今年度はできるだけサポートしてやる」

「そんなこと…佐藤くんがやればなんの問題もないじゃないですか…」

「俺だけじゃねぇ、これは前生徒会三年全員の意見だ」

「………え………?」

「能力が優れてるだけじゃ、会長には指名されねぇ
 お前に期待してるんだよ。一年間…頑張ってみろ」



本当なのか、そんなこと知る術はどこにもなかった。
でも、これは私に諦めさせるための嘘じゃない。



「……………はい」



胸が温かかった。嬉しかった。
お荷物だと思ってたのに、認められた気がして。

更に、嘘をいうことはないこの人に言われたから。

心から頑張ろうと思った。


この人が、生徒会の先輩達が卒業するまでに
心配をかけないでしっかりした会長になれるように…

夏の終わり。まだ、葉は青々と茂っていた。
私は正式に氷帝学園中等部の生徒会長になった。




半年以上あったのに、こんなにも時間の流れは速かった。
毎日毎日、長いと思っていたのに過ぎてみればほんの少し。
青かった葉は、花をつけた。来ないでと願った春が来た。

何度もつらくて、荷が重くて、投げ出したくなった。
だけど続けることができたのは、先輩がいてくれたから。
弱気になった私を、厳しく叱ってくれた先輩がいたから。

いつだって隣にいてくれたわけじゃない。
でも、貴方は私を見守っていてくれた。

最後まで心配をかけてしまったけれど
しっかりした会長にはほど遠いけれど



「―本当に…本当にありがとうございました…っ」



任期を終える最後まで、そうなれるように頑張ります。
いつか、成長した私を見てもらえるように。



最後の言葉を読み終わって、壇上から降りた。

誰にも見られないように、下を向いて歩いた。
きっと今ひどく泣きそうな顔をしているから。
席に着くと、キシッというパイプ椅子特有の音がした。

今までと違って少し講堂がざわついた。
それは、私の一時の涙の所為ではないだろう。



「答辞…卒業生代表、跡部景吾」

「はい」



生徒会長に課せられた最後の仕事。
きっと、私達の記憶に刻み込まれるのだろう。
彼の中等部の最後の言葉は……………









卒業式が終わった。
三年生は中等部を卒業した。
明日からこの校舎に先輩は、もう、いないんだ。

当たり前のことに気づいて、また涙が出た。
自分が卒業したわけじゃないのに
なんでこんなに泣いているんだろう。
私はいつからこんなに泣き虫になった?

これじゃあ、来年が思いやられるなぁ。


卒業に合わせたように咲き誇る、桜の幹に体を預ける。
遠くで卒業生と在校生の騒いでいる声が聞こえた。
卒業の感傷としては、やけにうるさいと思う。

氷帝学園は学ランではないけれど
第二ボタンの争奪でもしているのだろうか。

今日のやるべきことは、もう終わった。
だからもう帰ってもよかった。
でもここから動きたくなかった。

今は、…まだ、ここにいるから。
今日だけは先輩はこの構内にいるから。



「………何三年でもないのに、泣いてんだよ」

「………放っといてください………」



…だけど、今会いたくはなかった。
泣いているところを見られたくなかった。

その気持ちとはウラハラに涙は溢れ、風は吹き
私の涙と桜の花弁が、地面にはらはらと落ちてゆく。



「…いいんですか、こんなところにいて」

「あんまりよくねぇな」

「じゃあなんで………」

「お前がいたのが、見えたからな」



少しだけ悔しくなった。でも嬉しかった。
訳のわからない気持ちが私の中を支配する。

この気持ちを知っていた。
何度も感じたことがあるから。



「どうでした?」

「あぁ…送辞か。泣くとは思わなかったぜ」

「目にごみが入ったんですよ、あれは」

「まぁ、良かったんじゃねぇのか」

「なんか投げやりですね…」

「…お前にしては上出来だ。頑張ったな」



ふと、涙腺が緩んだ。涙はやっぱり止まらない。
急にそんなやさしい台詞を言わないで。

笑っているような呆れたような声が聞こえた。
頭を軽く叩かれて、涙を拭って顔を上げると
しょうがないな、という顔でハンカチを渡された。
黙ってそれを受け取って、溢れ出した涙を拭いた。

もうこれ以上ひどい顔を見られたくないから。
後ろを向いてさっきみたいに軽く深呼吸をした。



「先輩」



どうしても、笑って伝えたい言葉があるから。
この人に、聞いて欲しい言葉があるから。



「卒業おめでとうございます。今まで、ありがとうございました」



先輩、私はちゃんと笑えてますか?

ゆっくりを頭を下げて、それから上げた。
見えてきた表情は穏やかだったから、きっと笑えてた。



「お前もあと半年、会長頑張れよ」

「………はいっ」



きっと、こんな言葉をかけてもらえるのは
テニス部のレギュラーの二人と、私くらいだ。
二年生で、彼にこんな言葉をかけてもらえるのは。

今なら、言えそうな気がした。



「先輩…あの………」

「跡部、そろそろ時間やで」

「…ああ、わかってる」



呼んだ声は誰のものなのか見なくてもわかった。
会話をしたことは一度もなかったけれど、先輩と同じく、有名人だ。
言ってしまえば、テニス部のレギュラーは皆有名人だけれど。



「あー…もしかしてお邪魔やったん?」

「バーカ、そんなんじゃねぇよ。先に行ってろ」

「はいはい、わかったわ」

「わかったなら、さっさと行け」



なんとなく会話が無くなって、去っていく背中を見送った。
でも、ずっとこのままでいられるわけはない。

もう、本当に最後なんだ。これで終わりなんだ。
さっきは言おうと思ったけど、もう…言えない。
ここまで出た言葉は止まらずに落ちていった。



「なにか言いかけてたが…なんだ?」

「いえ、高等部へ行っても頑張って下さいと…」



うん、これなら大丈夫。上手く誤魔化せた。
今日たまたま機転が利いたことを心の中で感謝した。
言えないのなら、知られないままでいたいから。



「わざわざ悪いな」

「…いえ」

「じゃあな」



卒業証書の入った筒で去り際に軽く叩かれた。

それが、私たちの最後だった。
他の女の子みたいにテニスコートに寄ってくこともできたけど
今の言葉と気持ちを大事にしておきたくて、桜を仰いで歩き出した。









知られないままで、と思っていたけれど。
今思うと先輩は私の気持ちに気づいてた。
あんな勘の良い人が気づかないほど
あのときの私は隠し事が上手くなかった。

覚えてますか?
会長になってから初めての文化祭で私が泣いてしまったこと。
それを呆れたような笑っているような声で
先輩は今日みたいにハンカチを貸してくれたんです。




ねぇ、先輩。
あれからずっと、貴方のことが好きでした。









/04/03/15/